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mixiでの論争その4 ~論争放棄後に考えたこと~ 2007.01.06
「mixiでの論争その1 ~主文・ひきこもりのアジテーション~ 2006.12.27」及び、
 「mixiでの論争その2 ~レス&反論~ 2006.12.27」及び、
 「mixiでの論争その3 ~直後の感慨&日記~ 2006.12.27」の続きです。
 (01/06のmixi日記より)

さて、思わぬ体調不良で反論の機を逃し、もう論争放棄状態になってしまったmixiのトピックですが。
(やはり何につけても体力は大事だ・苦笑)

そうだ書き忘れたこと。
せめて「大学の学費を原則無償に」して欲しいです。
そうすれば俺も弟も絶望せずにすむのに……。
(フランスなんか、大学の学費という概念自体がないと聞く)

mixiの話に戻します(^^;
別のコミュニティーで宣伝した際、問い掛けられた言葉がありまして。

#批判した次に何を「する」のか。
#具体的に、次に何をしようとしているのか。

これには、正直何も考えていなかったので、はた、と考え込んでしまいました。
それへの回答が、以下です(ほぼコピペw)。
(まあ、初めは本格的に「日本国との闘争」に突入することも考えたのですが(^^;)


私は、必ずしも行動しなければいけないとは思っていません。
(だからひきこもっているし論争も投げ出すのです)
政治活動・社会運動・市民運動の類は基本的に嫌いなんです。
(前世が貴族だったから……冗談です^^)
ただ……。

ダウンしていた間にも読んでいた年末の新聞。
もはや労働の尊厳さえ奪われ、「貧困」層から抜け出せない人たちが日本に確実にいる。
それなのに人々には見えていない。政治家も上の潤いだけを考え、再分配や福祉を考えない。
この日本の現実に対して、何ができるのか。
(ソースの詳細を示したいところですが、生憎まだ切り抜きが完了していません)

私は、トピで書いていたように、中心となって何かをしていくことは苦手です。
また、あからさまな「いわゆる」政治運動はできません。
私はあくまで「人文知」のフィールドです。
大学を中退しており、学費もないのでアカデミズムには入れませんが。
なので、ひきこもり、ニート、またそれに限らず、この日本社会の現実に疑問を持つ人々が集まる、
地道な「勉強会」のようなものを開催したいと思います。
雨宮処凛さん(著作は好きですが)や、ロフトプラスワン系(?)の派手なイベントは嫌いなので。
上で支持されている『時代塾改憲フォーラム』も「公開討論用ブログ」がある点で、嫌です。
あまり大きなことをブチ上げるのはちょっと……。
共和制という到達点は似ていますが、私は、人々が「まず呪縛から逃れる」ことを第一にしたいのです。
人文知の力で)
体制変革のためには、個々人の理解度は無視して数の力で進む、という感覚がいやなのです。
(それは結局、独裁や、主張の違いによる粛清に陥る危険性があると思います)
静かな大学のゼミのような場所を、つくっていけたら、というのが、今現在の私の答えです。

以上。


こう言ってしまった以上、更なる勉学と、また公共施設等との折衝などが必要になってくるでしょう。
結局は「行動」する範疇に入るのかな。
でも、署名運動などの、即効性があってわかりやすい手段は、どうにも嘘臭くて、抵抗を感じてしまうので、これが精一杯ですね。
変ですか? この感覚。


追記。後に考えたこと。
「静かな大学のゼミのような場所」と上で書きましたが、
まずはmixi等で参加者を募り、公共施設を借りて「勉強会」を行い、
最終的には「人文知アジール」を日本にも打ち建てることができれば、
というのが理想です。(NPOみたいな組織になるのかな?)
フランスの大学なんかは政治とは独立した「アジール」(聖域)に近いんですよねぇ。
日本人の意識を変革して、フランス革命型の市民革命を! なんてのは無理っぽいですが、
せめてそうした「場」があると良いと思います。
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[2007/01/07 07:52] | ひきこもりの問題 | page top
mixiでの論争その3 ~直後の感慨&日記~ 2006.12.27
「mixiでの論争その1 ~主文・ひきこもりのアジテーション~ 2006.12.27」及び、
 「mixiでの論争その2 ~レス&反論~ 2006.12.27」の続きです。
 (12/27のmixi日記より転記)

【知的結晶は対話で深まる】
という訳で先のアジテートはレスもついて論争絶賛進行中!(笑)

やっぱ「考えをある程度まとめたもの」にWebで意見を募ると、
言葉が受け止められてボールが返され、更なる思索を呼ぶ。
書き損ねたこととか深められたりね^^

ただ『ウェブ人間論』的に考えると、
やっぱmixiよりもblogの方がいいのかな?
実際アクセス全然違うしね。
mixiは日に30人行かないけど、blogは150~200だから。
って有意に差のあるオーダーじゃねぇな。blogは記事単体のアクセスが多いし。
というかトピック自体は自分のmixi日記よりアクセス多いか(笑)。

まあ、mixiである程度やってみて、
もう少しまとめてからblogに上げるか。
とはいえ「惑星ソラリア」は『ウェブ人間論』でいうところの
「独り語り型ブログ」だから。コミュニケーション型じゃないからw
あんま意味ないかなぁ。どうだろ。
とりあえずGoogleで「デジモンセイバーズ 36話感想」と検索するとトップ10以内に位置するページランクな訳だが。
キーワードの組み合わせで、先のアジテートがトップ10に入る可能性はあるかしらん。
まあ、ネタとして誰かはてなダイアリー界隈で拾ってくれないかな、ぐらいに適当に考えとこう^^;

しかしこれにかかりきって今日は出かけなかった☆(テヘ)
散髪と銀行と郵便局と。そろそろ歳末でやばくね?
というか明後日からコミケじゃん!Σ(゚Д゚)

午前はずっと書いてたしー。
昼ごはんのあと寝ちゃったしー。
起きたら寝ぼけてるうちに16時すぎちゃったしー。
レスにPHSでレス返してたら「諸行無常」を変換しなくて広辞苑で調べたしw
そして一応PCつけたら遊戯王GX放送5分前のアラームが鳴るしw
見た後、弟と関係ない話をしながら反論書いてたら、文章の脈絡が合わなくなって書くの異様に遅くなったw
なんか疲れたから今日はblogの更新まで手が回らないかなw
あはは^^;

そういえば昨日の日記で『ウェブ人間論』を著者名入りで書いたからか、
梅田望夫さんご本人の足あとがあってびっくりした^^
プロフィールは一語のみ。日記は外部のはてなダイアリー
有名人は大変だ^^;

というわけで、リンク貼っておきます。
梅田望夫・平野啓一郎『ウェブ人間論』
http://www.shinchosha.co.jp/wadainohon/610193/index.html

↑のページ内にも梅田氏のブログのURLあるけど、一応。

My Life Between Silicon Valley and Japan
http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/

まだ読後感がまとまっていないので、書評は気が向いたら書くかな。
ただやはり『ウェブ進化論』の梅田氏が新進芥川賞作家の平野啓一郎と対談だものな。刺激的。
平野氏は『顔のない裸体たち』などで、インターネットの問題を文学で考えている人だから。
なんとまあ皮相的な紹介しかできない私!(汗)


※その後。
この日記の後エネルギー切れに陥り、年末年始を寝たきりで過ごしたことは過去記事の通り。
前記事の後も「これはニートに限らず、そうでない人にも受けとめて欲しいメッセージですね」等、好意的な反応や、
これはちょっとトピック主として一言書いておかないとマズいぞ、的な発言等あったのですが、
全部「論を頭で組み立てるだけ」で寝てしまい、機を逸するうちに、トピックに書くのが憚られるというか、流れが統御できない状態になってしまいましたw

「mixiでの論争その4 ~論争放棄後に考えたこと~ 2007.01.06」へ続く)

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[2007/01/07 07:20] | ひきこもりの問題 | page top
mixiでの論争その2 ~レス&反論~ 2006.12.27
※前記事「mixiでの論争その1 ~主文・ひきこもりのアジテーション~ 2006.12.27」の続きです。

#以下の青文字がいただいたレス、その後に私の反論となります。

#日本人は基本的に悲観的な国民性なんだと思います

そうですね。日本は、冬寒く、夏暑い国ですからね。
自然の猛威に抗するために、真面目に一致団結をする必要がありましたからね。
ヨーロッパのように、そもそも過ごしやすい気候の中で、自然を従えるという発想にはならず、
諸行無常の悲観的な国民性になった。
それは四季の移ろいを愛でる独特な感性ともなり、
人智の及ばぬものにはただただ敬い、逆らわない態度も育てた。

ただ、そのために「国民が国家を監視する」という考え方がどうも希薄なのが気になります。
日本は市民革命のような形で国家形成をしたことがありませんからね。
一揆にしても明治維新にしても「市民の権利」から出発はせず「お上」温存で、自由民権運動も挫折した。
敗戦後も自分たちで勝ち取った市民権ではないですし。
それがどうしてもあるから、教育現場で「人権」と言っても空疎になってしまう。
憲法は民衆が国家を縛るための「誓約書」という考え方が出てこない。
そもそも教育で「考える」方法を教えない。哲学する力とも言いましょうか。
だから、そうした世界の多様な考え方に触れる前に、受験戦争が嫌になって不登校になり、ひきこもってしまった場合は、確かに「どうしたらいいかわからない」状態になるでしょうね。
そう思うと、やはりひきこもりニートにとって「知識」はとても大切なものだという気がします。

#社会の仕組みや国家のあり方を批判するのであれば、生活保護を頼ればいい、というのはずるいと思います

生活保護に関して言えば、「ずるい」という批判が出るのは無理もないと思います。
実際に、俺たちはこんなに苦労して働いてんのにあいつらは働きもせず税金で食っていやがって……というのは、世間の代表的な意見と言っていいでしょう。
この「税金で」を「親の金で」に言い換えると、そのままニート批判になりますね。
ただそれは、一般的であるがゆえに、拭いがたい日本社会の「偏見」とも言えます。
これは、生存権を保障する、最後のセーフティーネットなのですから。
自助努力が不可能な人間に「死ね」と言う人はさすがに少ないでしょうが、多くの人が不公平感を感じるという事実は、
「働かざる者食うべからず」という信念が、如何に強く日本人の間に浸透しているかを端的に示していると思われます。

まあ、この文章の目的が、単純に「国家や体制の批判」であれば「生活保護」を口にしたのは、明らかな戦略ミスでしょうね。
ただ、これはあくまでも、ひきこもりニートの当事者に届くよう、啓発を目的に書いているので……。
生活保護という選択肢もあるし、それは別に、恥じるような手段でもないんだよ、ということを伝えたかったのです。

#この国に頼って生きていこうとするなら、多少の義務を果たすのは当たり前じゃないですか

いや、むしろ、世界的にみると、国民に義務を課すなどというおこがましい文言を盛っている憲法の方が珍しいのです。
前述した「憲法」の性格からしてもお分かりでしょう。
また、そうした「恩を着せて何かをさせる」関係性そのものに、私は搾取を見ます。
これは親子関係でも国家と個人の関係でも同様です。
むしろ、成人前は原則無償で生活と教育の保障がなされ、
一定の年齢に達した後に属する国家を選択できるシステムが望ましいと考えます。

#私は、頑張った先に得られる幸福を欲しています
#困難に立ち向かう道を選んでくださるよう、願っています

頑張った先に幸福を見ることができるのは「希望を持つことができる」時点で既に恵まれた人間です。
それだけ、今は絶望が深い社会であることは、心に留めておいていただけると幸いです。

困難に立ち向かうことが美徳という思い込みも、国家が経済成長のために浸透させたイデオロギーであることも、指摘しておきます。
それを信じて働きづめに働いた挙句、会社や国から切り捨てられた人のいかに多いことか。
人間は怠惰を欲するものです。余暇にこそ素晴らしい芸術が生まれます。
「老後の安定」を夢見るのは何故ですか? この真実に無意識に気づいているからではないですか?
それがすでに与えられているひきこもりニートこそ、人生を活かすチャンスに恵まれているのです。

人間の文明は余暇を増やすために発展するものであり、究極的には全人類が「労働」から解放されるべきだと、私は信じています。

「mixiでの論争その3 ~直後の感慨&日記~ 2006.12.27」へ続く)

余談。深夜のレスに対して、多少心情吐露の入ったレス。
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[2007/01/07 06:37] | ひきこもりの問題 | page top
mixiでの論争その1 ~主文・ひきこもりのアジテーション~ 2006.12.27
※以下は、mixiの「ひきこもりニートを考える会」コミュニティーにトピックを立てた、アジテートとしての文章です。

【なぜそんなに「将来が不安」なのですか?】

私は27歳のひきこもりです。
もう5年ほど「社会的ひきこもり」で、最近は体力も落ちてすぐに疲れてしまう状態です。
精神科には7年間通っています。
ですが私には、皆さんの「不安」が今一つ理解できません。

なぜそんなにも「働かざる者食うべからず」の類の強迫観念に囚われ、
社会復帰」なるものをしようと焦るのですか?

まずはそうした「自分を苦しめている理不尽な常識」の根本を疑い、その欺瞞を暴き、
呪縛から自分の精神を解放するほうが先なのではないでしょうか?

先の「働かざる者食うべからず」に関して言えば。
これは元々は聖書の中のパウロの言葉です。ただ、パウロ本人が書いた可能性は低いそうです。
そしてイエスは元祖ニート・フリーターのような人で、怠惰が罪などとは言っていません。
怠惰は七つの大罪の一つ、なんてものは後世の創作で、
為政者が「あまりにも働かない人民に業を煮やしてこの言葉を利用した」と考える方が自然です。
そしてこの言葉が日本で言われるようになったのは当然明治以降のことです。
(この辺は『反社会学講座』の受け売りです。実はネットで全文が読めます)
http://mazzan.at.infoseek.co.jp/ をご参照あれ)

また、皆さんが、なぜそんなにも、日本人の標準になろうとする「同調圧力」に苦しむのかもよくわかりません。
確かに日本は同調圧力が異常に強い国で、契約関係で結ばれたはずの組織が容易に「しがらみの強い共同体」と化してしまう社会ではありますが。
ゲゼルシャフトがいつの間にかゲマインシャフトになっている国とも申せましょうか(笑)。
(『思想としての〈共和国〉』にあった台詞の受け売りですが)
http://www.msz.co.jp/titles/06000_07999/ISBN4-622-07221-1.html

しかし元々はそんな社会がいやだから、ひきこもったのであるはずです。
少なくとも私はそうでした。
大学では就職活動を一切しませんでした。就職氷河期とか言う以前に、社会に組み込まれた一労働者になるのが嫌でした。
そして資格は一切持っていません。英検すら。自動車免許すら。
一度、日払いアルバイトに登録しましたが、3時間で工場から逃げ出しました。
こういう「社会的に不適格な個体」に育てられた理由については、なんとなくわかってきましたが。
(岸田秀『唯幻論物語』を読んで)
http://www.bunshun.co.jp/book_db/6/60/45/9784166604555.shtml

ただ、ひきこもりニートワーキングプア(過重労働でも生活保護水準以下の収入しか得られない人々)、そして自殺者がいずれも万単位で存在するこの国は、そもそもがおかしいはずです。
そこを問わないで「社会復帰」してどうなるのでしょうか。
ひきこもりを脱出してニートニートを脱出したらワーキングプア。そして生活に困って借金苦で自殺。
こんな格差のスパイラルが既にできているのです。
(『社会的ひきこもり』の斎藤環が新聞で言っていました)
それでもあなたは、現状を糾さず「社会復帰」しますか?

まず国家というものの正当性を疑ってみましょう。
その本質は「治安維持と安全保障を担保に警察組織と常備軍を所持する、ローカルな領土内で最高の権力と暴力を独占する機関」です。
法治国家で法を作るのも「権力」。違反者は警察組織が強制的に拘束し、最終的に司法が人命を奪うことも可能な「暴力」を揮います。
なんとなくその手続きは公正なもので、「お上には従うものだ」「被害者感情を考えれば極刑は当然だ」などと信じ込まされていますが、法律には「内乱罪」というものもあり、この権力に逆らう者には暴力の鉄槌が下されるのです。
この脅迫のもとで、納税の義務などが課されており、それが権力組織の財源となっているのです。
人民主権などと言いますが、生まれた時にあなたは日本国と「社会契約」をしていますか? 知らずにこの総体に組み込まれている。それが現実なのです。
(後日追記。萱野稔人『国家とはなにか』)
http://www.ibunsha.co.jp/index.html

もっとマシな世界を作るために、例えば実現しなかった空想的社会主義の系譜も汲み、
柄谷行人などは『世界共和国へ』などの思索を重ねています。
http://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn0604/sin_k285.html

ひきこもりだって、自室から横断幕を垂らして「この社会の理不尽に抗議する!」などと掲げれば、それは立派な「立てこもり」という「社会運動」になります。
(雨宮処凛の言葉だったかな?)
ただし、このポストモダンのご時世――全ての価値がフラット化し、「ネタ」として消費される社会においては、そういった過去の「闘争」的に組織を作って動くのは難しいでしょう。
個人的にも、組織の中心になって動く難しさは経験したので、自分ではあまりやりたくないですね(苦笑)。
全国のひきこもり・ニートワーキングプアと称され虐げられている者達よ、連帯せよ!
この日本社会の致命的な理不尽を、ともに変えてゆこうではないか!
……などと叫んでも、せいぜい一時期ネタにされるだけで「痛い人たちがいたなぁ」で終わるでしょう。
何とか方策を考えたいのですが……。

まあ、こんな社会は嫌だ、と逃げ出す手もありますね。
実際、海外では日本とは全く違う生活様式があり、人々の常識や労働観、政治や宗教に対する考え方も異なりますから、人によってはその方が楽に生きられるでしょう。
私は日本のアニメやマンガが好きで、日本語ネイティブだから何かと便利で日本にいるわけですが、嫌になったら逃げ出しますよ。

父親がもうすぐ定年で、実際にはかなり危機が迫っているはずなのですが、
私は特に危機意識も持たず、楽観していますね。
一度死んだ身なので、別に野垂れ死んでもいい、と思っていることもありますし、
実際に生命の危機に置かれると、生存本能が驚くほど働くことも経験していますし。
いざとなったら、生活保護を頼ればいい。
無論日本では、そもそもの理念とはかけ離れた給付実態となっており、条件も難しいことは承知していますが。
人間、本気になって甘えれば、案外生きていけるものですよ。そうした図太い人たちはいっぱいいます。
日本人は「人に迷惑をかけてはいけない、自分ひとりでなんとかしなければ」と思いすぎなんですよ。
私自身がもろにそうですが。ただ、それを捨てれば、人は親切なものです。


まあ、いろいろと書いてきましたが、言いたいことは、
「もっと自分を縛っている思い込みから解放されて、楽になろうよ」
「将来の不安の原因を突き止めて、まずは知識を得て、不安を解消しようよ」
「そして充分に癒されてから、また困難に立ち向かおうよ」
といったことですかね。

皆さんは、どう思われますか?

2006.12.27 12:38

「mixiでの論争その2 ~レス&反論~ 2006.12.27」へ続く)

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[2007/01/07 05:36] | ひきこもりの問題 | page top
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