私には自立を阻害している3つのドクサ(臆見。認知の歪みと言い換えても良い)がある。 一つは金銭を得る行為に関して、一つは国家の正当性に関すること、いま一つは性の問題についてだ。
一つめ。金。 私は金を得る行為はいかなるものであれ、卑しく汚らしいものと考える。 それは結局、どのような場合であれ、「搾取」と「隷従」の混合物であるからだ。 場面と立場によってその混合の比率は異なるが、結局は人が労力を費やした結果に支払われるもの。 そこには人間を資源として物的に見る疎外がある。「人的資源」「人材」などと言われるのもそのためだ。 私は人に査定される「物」ではない。 (人類は労働から解放されるべきだ。労働はロボットにさせておけばいい。人がやることではない。惑星ソラリアの基本的発想)
次。国家。 治安と安全を名目に常備軍と警察組織という「暴力」を独占している主体に、なぜ従わねばならないのか。 法治国家で法を作るのも権力。そして法に違反すれば警察組織は人を強制的に拘束できる暴力を振るい、司法は(同じ人間の癖に)一方的に強制力を持った裁きを下す。 こんなものに何故正当性があるのか。 暴力が分散していては人は自衛に多大な負担がかかる。だから治安維持と罪刑法定の権利を移譲する。 なるほど正論だ。 だが私は移譲した覚えはない。気づいたらそうした世界に組み込まれていただけだ。 また、税や年金保険料を支払う理由がわからない。 国家に保護してもらう対価に様々な権利を放棄し国民の三大義務を負う、などという契約を交わした覚えもない。 国民国家制度の外に出る自由があって然るべきだ。
最後。性。 何故知性を持つに至るまで進化した人間が、動物と同じ「交尾」をしなければならないのか。 それは食事その他にしても同じだが。 あまりにも汚らしいではないか。本当に人がやることか? 性欲を発生させる古い脳の組織を切除し、男女ともに性器の摘出手術を受けるべきだ。 子孫など、人工授精で作ればいい。完全に自動化した人工子宮のシステムで。 「中性」「無性」が当たり前の遺伝子操作も行なうがいい。 不老不死の技術なり、情報生命体への移行もいいだろう。 性的存在であることが当然で逃げ場のない遅れた時代に生きていることが苦痛だ。
これらの臆見を発展的に揚棄しない限り、私は社会に参加する気になれないだろう。 まあ、案外「結論が出る前にまず行動」しているかもしれないが。 (信念に近い域にまで達してしまっている考えを手放すのは、得てして外的契機によるものが大きいであろうし)
こうした考え方に共通することは、「他者の存在、まなざし」を徹底して拒絶していることだ。 自己愛だけを追求すると窮極的には、他の否定、関係性の否定、へ行き着く。 私は少しネットからもひきこもっていた間、「自分以外は全員死ね」と思っていた。 自分以外に、考えて動いている他人が存在しているという事実に耐えられなかった。 世界に自分以外は要らなかった。鏡を見て自己の美貌に見惚れていればそれでよかった。 多少似たような嗜好を持つ人間でも、ある話題についての感想や意見がわずかでもズレていると「消えろ」と思った。 (mixiのコミュニティーが典型例だ。同じ関心事と話題に集まりながら、書き込みは各人各様。それを「いろんな人の意見を見られて楽しい」とは、その時期の自分は思えなかった) 買い集めた本やCDも全部ゴミに思えた。テレビもビデオも、パソコンもPHSも、全部ゴミ。何の価値も感じられなかった。 PCのモニタの向こうに無数の人間が活動していること。気持ち悪かった。 それを言うなら、この時空を60億の他者と共有していること自体「やめてくれ」と思った。 まあ、あえて小説を読んだりして回復したわけだが。 (村上龍「最後の家族」(幻冬舎文庫)。ひきこもりに関する小説。これを読んで考えた、ひきこもりからの脱出方法と自立への道筋については、後に)
少しネットと距離を置こうと思っていたのだが。blogのデータもなんか壊れているっぽいし。 (PCに取られる時間がどう考えても多すぎ。今の私には、オフラインでやるべきことこそ多いはず) アニメ版「NHKにようこそ!」の演出に吐き気がして拒絶反応が出たので、少し書いておこうと思ったのだ。 (原作小説は好きなのだが。漫画版は読んでいない。キャプチャなど見てもどうも好みではなさそうだったし。アニメの初回を見て更に確信を深めた) ひきこもりの戯画化をギャグとして楽しめない頭の固い奴。同族嫌悪。別にどう言われてもいい。 ジャンプでも買いに行くか。早寝早起きをここのところ心がけていたのだが、馬鹿らしくなった。 テーマ:モノの見方、考え方。 - ジャンル:心と身体
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