一応さっきの続きということで。
皆さんは、落ち込んだ時、どうすれば気分が上向きに回復しますか? 私の場合、その一つは。「鏡をみること」(!) ふと鏡に映った自分に見惚れて、気がつけば時が移ろっていた……なんてことは、もう日常茶飯事なナルシストですから(^^;
あーもう! 死にたい!
って時も、
自殺したい自殺したい自殺したい……。。。
って状態の時も。
最近はどこか余裕があるんだな。
別に『自殺のコスト』読んで「自殺ってこんなに周囲の人間に迷惑をかけるんだ!」と戦慄したから、とかそういう俗的な理由じゃなくてね。 (そもそも立ち読みのみで未読だし。それに自殺決行時の心理状態って「死」一点に意識が行っちゃってるから、周囲のこととか冷静に考えられないし。その意味で限りなく自己中心的な視野狭窄に陥る)
なんか「死なねーでしょう(笑)」みたいに自分に突っ込み入れてんの。 これまでの自殺未遂経験回数から来る「感覚」だけどね。
それに、「俺にしかできないことは星の数ほどあるし?」とか「私程の美青年がいなくなるなんて、全宇宙規模の損失でしょ(笑)」なーんて、けしからんことも考えるんで、ね。
ああ、これだけ見ると「自己愛性人格障害」に分類されそうだ。でも私のパーソナリティーはそれだけで括れるほど単純じゃないから。残念でした♪
ま、これと表裏一体の、自分の価値は零以下だ、と確信してしまう程の「全面的無能力感」に打ちのめされることもある訳で。その時は精神はそれ一色に染められてしまうね。
賢しらな言い方をすれば、この、無邪気な子供の「全能感」と、年齢を重ねることで味わう「無力感」との両方を、バランスよく自分の中で折り合いをつけて、自分の身の丈に合った健全な「自我」を獲得できればそれが「成熟」ってことなんだろうけど。
難しいって、これは。。。 斎藤環の「成熟モジュール」論の方がまだ説得力がある(成熟した大人として振る舞うべき場ではそれなりの所作ができる「モジュール」を人格の一部に持っておく、って感じの論)。
まあ、blog閉鎖してた夏の終わりに、一度本気で死の恐怖を味わったからね。 それで前より「生きたい」と思うようになったのかも。
若さの特権というべき「潔癖さ」は、失われちまったな(遠い目)。
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