わたしたちは、この世では何ひとつ所有していないのだ――(中略)――ただ、〈わたし〉と言いうる力だけを別として。この力をこそ、神にささげなければならない。すなわち、これをほろぼさねばならない。わたしたちにゆるされている自由な行為なんて、まったくひとつもない。ただ、この〈わたし〉をほろぼすことだけは別として。
――シモーヌ・ヴェイユ『カイエ』抄「重力と恩寵」より
私はこれほど強烈な言葉に出会ったのは初めてで、私は思わず、自作の稚拙な小説(CRUCIFY)のエピグラフとして使ってしまいました。高校3年生のことです。 私は幼時からとある新興宗教を強制されて育ち、「自我を捨てよ」「執着を捨てよ」と言われ続けてきたのですが、それでもここまで徹底してその〈否定〉を言い切った言葉に触れたのは初めてでした。 ちなみにヴェイユとの出会いは、SFマガジンに連載されていた笠井潔の「無底の王」です(単行本化されていません)。その後、私から見たらずっと上の世代の人たちが傾倒していた思想や運動そのものに、興味を抱くようになりました(しかし団塊の世代の父上は、完全な「ノンポリ」だったりする・苦笑)。 ここまで過激な労働運動の実践と、それに全く矛盾しない、深い宗教的思索と敬虔な信仰には圧倒されます。 しかし彼女の本を読むのには多量のエネルギーが要るので、実は「抄」である「重力と恩寵」でさえ読了してはいないことを恥ずかしながら告白します。
テーマ:信仰・希望・愛 - ジャンル:学問・文化・芸術
|